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日記

6/29(土)タイ遠征試合結果

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6/29(土)タイのバンコクにてデスティノジャパンとコンドル稲葉の試合が行われました。

〈スーパーライト級8回戦〉

デスティノジャパン(ピューマ渡久地) ○3TKO VS トンテップテーヤウォン(タイ) ×

〈スーパーフライ級8回戦〉

コンドル稲葉(ピューマ渡久地) △引き分け VS ゾリエン・スワンナパクディ(タイ) △引き分け

 

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デスティノジャパンは現役の生き残りをかけた試合をしっかりとTKOで勝利し、無事再起を果たしました。

 

今年で40歳となり、ボクシングキャリアでの最終章を迎えたデスティノですが、まだ日本タイトル奪取の目標は諦めていません。

 

幸いダメージがない状態で試合を終えることができたため、次戦に向けて早めにトレーニングを再開したいと思っております。

 

次戦は日本で行う予定ですので、皆様にパワーアップしたデスティノジャパンの姿をお見せできることを楽しみにしております!

 

 

 

 

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コンドル稲葉は、1R目から激しい打ち合いの展開となりました。

5R半ばダウンを喫したコンドルでしたが、最後まで諦めずに前進し手を出し続け、判定決着まで持ち込みました。

結果はドローでしたが、コンドルにとってもチームにとっても結果以上に得たものが多い一戦となりました。

次戦はいつも応援してくださる皆様にもっとレベルアップした姿をお見せできるようより一層気を引き締めてトレーニングに励んでまいります。

 私はいつも応援し支えてくださる皆様への最大限の恩返しは、「勝利」というカタチで還元することだと考えております。

ただ勝利するだけでなく、プロならではの観ている方々が興奮し、熱くなれる試合を魅せていけたらと思いますので、引き続きPUMA TOGUCHI BOXING GYMの応援よろしくお願いいたします。

 

PUMA TOGUCHI BOXING GYM

会長代行 渡久地琉雄

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年の終わりを迎えるにあたり皆様へ

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2022年ももうそろそろ終わりを迎えますが練習生の皆様、体調を崩さずいかがお過ごしでしょうか。

あいさつが大変遅れましたが、今年から正式に会長代行となりました渡久地 琉雄(とぐち るお)です。

まずは皆様、今年もピューマ渡久地ジムを支えていただき誠にありがとうございました。

 

さて、突然ですが今年は皆様にとってどんな1年になりましたか?

 

私にとって2022年は沢山の出会い、感謝の年となりました。

 

ピューマ渡久地ボクシングジムは私自身が幼い頃から共に過ごしてきたかけがえのない場所です。

そんなかけがえのない大切な場所を私がサポートする側になるまで支えてくれた練習生の方々、どんな事があってもジムを守り続けてくれた聡美会長をはじめプロやマネージャーの方々に改めて感謝の言葉を伝えさせてください。

 

今までジムを支えてくれた皆様、本当に本当にありがとうございました。

 

最近になって聡美会長から常々教わってきた「自分が身を置く環境、関わる人々への日々の感謝を忘れるな」という言葉が胸に刺さります。

 

私はこのジムを皆様が切磋琢磨してトレーニングすることができ、なおかつ自分の第二の居場所のように感じてもらえるような温かいジムにしていきたいと思っております。

今はまだ私自身半人前にもなれないほどに未熟者ですが、皆様の力をお借りしながら少しずつでも前進し、皆様により良いサービスを提供できよう努めてまいります。

 

来年も引き続きピューマ渡久地ボクシングジムを何卒宜しくお願い致します。

 

皆様にとって2023年がより良い一年となりますように、心から祈念しております。

 

ピューマ渡久地ボクシングジム

会長代行 渡久地琉雄

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

デスティノジャパン(紹介記事)

 

ボクサー人生最大にして、ラストチャンス。3月16日、ピューマ渡久地ジム所属としてA級ボクサー登録を終えた元ドミニカ共和国代表のオリンピアン(31歳)は、自らのリングネームをデスティノジャパンと命名。「日出る国」で拳闘選手としてデスティノ(最終到達地点の意)が見据えるのは、スーパーライト級世界王者のベルトなのか。
(岡庭 慎)

 

デスティノジャパンこと、ブラディミール・バエス(愛称・ブラディ)は1984年49日、ドミニカ共和国のほぼ中央に位置する、スポーツが盛んで大規模な祭りでも世界中にその名を知られる、ラ・ベガ州で生を受けた。12歳でボクシングを始めたブラディミール少年はすぐに頭角をあらわし、EDPAサンティアゴ・タイトルで優勝。コパ国際大会では銅メダルを獲得するなど、同地のトップ・アマ選手として名をあげ、04年にはアテネ五輪のドミニカ代表選手にも選出されたが、輝く五輪メダルには惜しくも手が届かなかった。アマでの通算戦績は、200戦以上をこなし、9割以上の勝率を記録してきたが、色良い条件でのプロ入りスカウトは皆無だった。家が貧しい彼には、プロに進む以外選択肢はなかった。07年6月、23歳とやや遅いプロ・デビュー。その後、順調にプロとしてのャリアを積み重ねるがマネージメントには恵まれず、世界への道が開かれることはなかった。強打と技術を兼ね備えたドミニカ人のキャリアはここまでかと思われた。(ドミニカでの)プロ戦績は、24戦20勝18KO2敗2分。昨年4月、彼に転機が訪れた。旧知の後輩で同郷である、ザッパトウキョウ(ピューマ渡久地ジム所属・スーパーバンタム級=29歳)に日本行きを誘われ、ピューマ渡久地ジムを訪れることになったのだ。渡久地聡美会長が当時を語る。「当ジムの2度のキャンプ(九十九里浜の海岸、市原ベルセルバカントリークラブ・ゴルフ場)に参加したブラディは、とても優秀なフィジカル・トレーナーとしてコブラ諏訪ほか選手たちにとてもクオリティの高い指導をしてくれました。それを見て、(フィジカル)トレーナーを務めてもらおうかと考えていたのですが・・・」。その話を聞いたブラディの答えは、意外にも「NO」。まだまだ現役で戦えることを渡久地会長に熱心にアピールしてきたという。

 

「彼は1日中、ボクシングのことを考えていて、口から出るのはボクシングのことばかりの、とても真面目な人間なんですね。そんな彼の日常の姿勢に、私は強く心を動かされたのです・・・」。行動力に長けるスマートな渡久地会長は、駐日本ドミニカ共和国領事館を何度も訪れるなど関係各位の協力を万全に得て、ブラディに就労ビザを取得させることに成功。晴れてピューマ渡久地ジム所属のA級ボクサーとなったのである。

ブラディは「恵まれた環境を与えてくれ、世界王者になる最後のチャンスをくれたボス(渡久地会長)には、心から感謝しています。このジムに世界王者のベルトを持ち帰れるよう努力を惜しみません」。リングネームにJAPANを冠したドミニカ人は、控えめに白い歯を見せた。

ボクシングライター
岡庭 慎

 

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 ドミニカ共和国大使館で大使に表敬訪問した際  デスティノジャパン